不登校になるまで
あんこ姫は現在小学4年生。今年の冬休み明け(当時3年生)から登校できなくなりました。
ADHDなどの特性があるため学校生活をしていく中、
本人の中で色んな葛藤や思いがあったんだと思います。
今は家で自由にさせていますが、学校から借りてるノートPCや漢字ドリルなどで
毎日ほんのちょっと勉強しています。
勉強とは言えないレベルですが・・泣
順を追って不登校の経緯を書いていきます。
1年生の頃
元々人見知りしない活発な子で小学校に入学してしばらくは何事もなく登校できていました。(普通級)
が、1年生の夏休み明けくらいから行き渋りが始まり、(頻度は月に1〜2回くらいだったかな?)
車で連れてったものの降りれないとか、朝保健室で一緒に過ごすなんてこともありました。
しかも行きたくない理由を聞いてもわからない。
でもこの時はほんの序の口。
この状態がもっとひどくなるとは想像もしていませんでした。
行き渋りが始まった頃、担任に相談したら
「遅れてもいいし車で来てもいいから、なんとか連れてきてください。
1回休んでしまうと休み癖がついてしまう。」
・・と。
「1回休ませると休み癖が〜」っていうのはなんとなくで知ってたし確かにそうだ!
と思い、行き渋りの日はおやつのご褒美をちらつかせ(1年生だったからまだつられるw)
なんとか連れていってました。
2年生の頃
2年生になり、状況がますますひどくなります・・。
クラスも新しくなり、時々行き渋りはあったものの前半は割りと登校できていました。
・・・が!
1年生の頃とは違い朝から行けない日が多くなり、遅れて行くこともありました。
行った時に体育の時間だと、あんこ姫に気づいたクラスの子達何人かがお迎えに来て
先生のところまで連れてってくれるなんてこともありました。
親としてはその子たちの優しさがありがたかったなぁ。
そして遅れていくたびに朝学校に連絡するのがとてもストレスで苦痛でした。
確か、夏休み明けてから行き渋り日数が増えたきがします。でも遅れてでも登校はできていました。
校外学習なんかはいくことができず結局休み。
なんとか連れて行こうとしたり、しつこく言うと癇癪につながり、
癇癪&暴力が始まると、おかめも銃で打たれたくらいの衝撃になるのですww
疲れもありこの頃から休ませてもいいかな?
・・という思考になってきました。
でもまだまだ親としては「学校に行かせなきゃ!」の気持ちの方が強かったです。
そしてあんこ姫は口の構造上、発音がうまくできないところがあり、
2年生後半からは「ことばの教室」に週1回通級していました。
※ことばの教室は言語聴覚士などの先生が在籍している学校に、子供が在籍している学校から早退などし通います。
吃音のお子さんや言語・発音に問題を抱えてる子が通っています。
あと、放課後デイサービスもこの頃に始めました。
長くなるので、分けて投稿します!
次は3年生のお話です。 続く。。